ガルパンではなく「戦車道」がいいのではないだろうか?

TVアニメ『ガールズ&パンツァー』オリジナルサウンドトラック

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最初に言っておくが「ガルパン」が別に悪いというわけではないのでそのへんはよろしく。

言いたいのは「戦車道がある世界」という設定が秀逸だということ。

わたしは軍事クラスタ(ミリクラ)であるが、一般の人達の「軍事=悪」というイメージに悩まされてきた。

普通の人たちにしてみれば「軍事=兵器(防衛装備品)=悪」という流れにもなる。

さらに言えば「兵器=人殺しの道具」と来て「兵器を扱う人(およびミリクラ)=軍人(隊員およびミリクラ)=人殺し」となる。さらに進むと「軍人(隊員およびミリクラ)=人殺しをしたい人たち」となってしまう。

しかしその考えは間違いである。

はっきり言いたいのは「より現場に近い兵士(および隊員またはミリクラ)」ほど、「殺傷行為に嫌悪感を感じている」ということである。

ほとんどの人は「人間の本質として」に殺傷行為を嫌悪している。軍人であっても同じである。それは「発砲率」という統計からも明らかである。

「発砲率」というのは兵士等が敵と対峙した際に武器を使用する確率である。

意外なことと思われるが、軍隊においてはこの発砲率が低すぎて問題になっているのである。敵であっても「同じ人間である」と考えると撃てなくなってしまうのである。

武器を持たないミリクラであっても、戦争の歴史などを紐解く際、その悲惨さに触れて「兵器を使用することは大変危険なことで避けなければならない」との思いを強くしている。

だが兵器というのはなんとも言えない誘引力がある。それが実戦で使われることは危惧するが、カタログスペック的な意味で「一体これはどんな威力を発揮するのだろうか」との思いも同時に持つ。

この二律背反する考察は普通の人にはなかなか伝わらない。

だが「戦車道」はそのような思い煩いをふっとばす設定だ。

まず「戦車道」では戦車(一部除く)を使用するが、殺傷が目的ではない。あくまでも相手を「行動不能」にすることである。

さらに「戦闘の勝敗」よりも「他人を救うこと」が優先される。

しかしそれでいて戦車がまるで生き物であるかのように活き活きと走行する姿が見れる。

兵器が活躍するが誰も死なない。これはアニメの世界としても異質な設定である。

ほとんどのロボットアニメでは人が死ぬ。そしてそれゆえに主人公たちは葛藤を抱える。

なぜ戦うのか? 敵とは誰か? それに明確な答えが得られることは少ない。

そして戦闘後は、敵を殺傷してしまったことに対する深い後悔…… 虚しさ…… 混乱……

全く救われない。

だが「戦車道がある世界」では違う。

なぜ戦うか? それは「戦車道」というものがあるため。

相手は死傷するか? そうではない。

戦う動機は自分勝手な殺意か? そうではない。スポーツマンシップに近い。味方はもちろん敵であっても命の危険があればそれを助ける。

勝利したあとは? 清々しい。

「戦車道」を語るときそこに後ろ暗さはない。誰も死なないからである。

「戦車道のある世界」ガルパンは、その主人公やその友人たちだけでなく「ミリクラ」も救ったのである。

個人メモ:「ツァー」とローマ字入力するためには「tsa-」で。